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ヨコハマのこだわり プリント メール

P.Simonの「America」とHommoku

P.SimonAmericaという名曲がある。

1968年のヒットソングだが、僕が1970年の10歳の夏、

ませた友人が下手なギターで歌ってくれたのがその曲との出会いである。

そのときの衝撃がすごくて、友人は本牧のPXの盆踊りで、

ヤンキー相手にThe Boxer2曲、コードもめちゃめちゃなまま熱唱して、

拍手喝さいを浴びたのである。僕にとってはその夏は彼がヒーローだった。

この曲に登場するAmericaは、当時のベトナム戦争の打算と、

今まで歩んできたking Americaが崩壊する寸前で、

恋人同士がバスで旅行を楽しんでいたが、なんだかすれ違いになり

会話がなくなるという歌であるが、

10歳の僕は、このメロディと歌詞に乾いた憧れのAmericaを空想したのであり、

きっと本牧を重ねたのである。

少年だった僕は、いつも父の運転する車の後部座席で麦田のトンネルを抜けると、

窓を開けて、Americaの空気を吸って、なんだか、歌の中に出てくるミシガン州の

サギノー市をイメージしていた空想少年だった。

歌詞の通りAmericaを本牧に探していたのかもしれない。

PXを抜けると広い空とハウス。ポニーテイルの女の子、

そしてハウスの庭には洗濯したまぶしい白いシーツ。

甘ったるいみどりのbuttercake。時折鼻につくcigarの香り。

50歳を過ぎた今でも、あの光景が浮かんでくるのである。

 

横浜は今でも音楽の背景が似合うまちである。

きっとずーっと主役でいさせてくれるのがこのまちのステキなところ。

この背景に僕ももっとこだわりたいと思う今日この頃である。

でも今の本牧からはそんな音楽が聞こえてこないのがチョッと寂しい。

  アクティブイメージ アクティブイメージ

アメリカ (サイモン&ガーファンクル)

"Let us be lovers.  We'll marry our fortunes together" 
"I've got some real estate here in my bag" 
So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies 
And we walked off to look for America 
"Kathy," I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh 
"Michigan seems like a dream to me now" 
It took me four days to hitchhike from Saginaw 
I've come to look for America 
「ボクたち愛し合って行こう。 結婚して財産をともにするんだ。」
「不動産なら私のかばんにあるわ。」
で,ボクたち,タバコを一箱とミセス・ワグナーのパイを買った。
アメリカを探そうと歩き去る。
「キャシー」ピッツバーグでグレイハンド・バスに乗る時にボクは言った。
「ボクには今じゃミシガンは夢みたいだ。」
サギノーからヒッチハイクして4日かかった。
ボクはアメリカを探しにやって来たのだ。

Laughing on the bus 
Playing games with the faces 
She said the man in the gabardine suit was a spy 
I said "Be careful his bowtie is really a camera" 
バスではボクたちは大笑い。
乗客の顔をコケにして。
あのギャバジンのスーツの男はスパイよ, なんて彼女は言う。
ボクは言った「気をつけろ。 あの蝶ネクタイは本当はカメラなんだ。」

"Toss me a cigarette, I think there's one in my raincoat" 
"We smoked the last one an hour ago" 
So I looked at the scenery, she read her magazine 
And the moon rose over an open field 
「タバコを投げくれ。 ボクのレインコートに1つあったと思う。」
1時間前に最後の吸ったじゃない。」
しょうがない,ボクは景色を眺める。 彼女は雑誌を読む。
そして開けた原に月が浮かぶ。

"Kathy, I'm lost," 
I said, though I knew she was sleeping 
"I'm empty and aching and I don't know why "
Counting the cars on the New Jersey Turnpike 
They've all come to look for America 
All come to look for America 
All come to look for America
「キャシー, ボクはどこにいるんだろう。」 
ボクは言った。 彼女が寝ているのはわかっていたのに。
「空しい。 心が痛い。 なぜかわからないけど。」
ニュー・ジャージーの高速道路で走る車を数えた。
あいつらみんなアメリカを探しに来たのだ。
みんなアメリカを探しに来たのだ。
みんなアメリカを探しに来たのだ。

 

 
私をデートに連れてって! 横浜中心市街地のデートはこれで決まり! プリント メール

先だって、東京の友人から、

中華街でおいしい店教えろ!新しい彼女と行くんだ。」と電話があった。

彼は1度の結婚生活の失敗にもめげず、2度目に向けて邁進していた。

このような横浜観光デートコースについての電話相談は、年間10本はくだらない。

今回、この友人に教えた、コジマ流、 横浜デートのシナリオをご紹介しよう。

◆◆◆◆
 
まず、待ち合わせは、JR保土ヶ谷駅。
 
ここで神奈川中央交通「 山手ライナー」に乗って欲しい。
 
時間は夕刻。料金は210円。彼女の分をおごっても奢れる範囲である。
 
ポイントは一番後ろの右側に座る事。
 
保土ヶ谷・南区の横浜庶民の生活を満喫した後(まだ彼女の手を握ってはいけない。)

 
最初のポイントは、「中村橋」から「山谷」バス停までの間。
 
稲荷坂をのぼり、根岸米軍ハウス沿いに走る道。
 
バスの車高が高い分、米軍ハウスの中を走っている感じがする。
 
左側は、横浜の中心地の景色が眼下に見え隠れする。
 
この路線は、道が狭いため結構ゆれる。
 
そこで不自然にも自分で揺れてみると自然に彼女とのスキンシップが楽しめる。
 
季節が、ハロウーンやクリスマスだったりすると、
 
ハウスの中はイルミネーションでロマンチックである。
 
ハウスの中を指差しながら、そっと彼女の肩に手を回しても責任はもてないが、
 
いけるかもしれない(???)。
 
その後幾多の動物の名前のついた坂を左に見ながら2人の仲はいいムードに・・・
 
その後バスは次の景色に進む。

山手町バス停
 
 次のポイントは、山手本通り。
 
お洒落な洋館住宅を眺めながら、
 
ここは、踊るコンダクター・スマイリー小原が住んでいた家だよ」とか
 
「高倉健の冬の華がさ・・」
 
バブルの頃はこの豪邸10億円はしたんだ」なんて言うと、20代の女性にはすべるので、
 
そのうちに何時かは君と住もうと思っている」(ここで手を握るポイントが登場する。)
 
ぐらいの見栄でとめておきたい。
 
 特に震災後、ゲーテ座を訪れ、山手の洋館を描写した芥川龍之介の短編小説「ピアノ」の話をすると良いかもしれない。

外国人墓地あたりの標識
 
 バスは、外人墓地を抜けて、港の見える丘公園を左折。
 
フランス山を右に見ながら、元町へ・・・

ここで下車するのは、まだまだ横浜素人。
 
またここで降りると、 デート費用が「元町」やら「中華街」でお高くつくので、
 
我慢して終点桜木町まで行って欲しい。ここまでの所要時間は約40分で出費420円。

桜木町駅の雑踏を横目に、「野毛ちかみち」へ、
 
デートに野毛を活用するのがハマっ子である。
 
特にお勧めは北京料理の店「萬理」。特にお勧めは、19番中華ランチと特製餃子、
 
それに中華風炭焼き鍋。

 
 「この店汚いけれど、焼き餃子発祥の店で、 横浜の自称文化人たちが結構来るらしいよ。」なんて話しながら、パイカル酒で乾杯しても2人前、3000円でお釣りがくる。
 
しかし間違っても2軒目に「みなとみらい」に戻ってはいけないことを忠告しておこう。
 
(双六で言えば「スタートに戻る」状態になる。)
 
なぜなら、連れの女性に「はじめからみなとみらいにしてよ!」なんて苦言を言われる。
 
そこで、萬理をでたら左(野毛本通り方向)に行こう。そしてほろ酔い加減で都橋へ・・・
 
ここから眺めるみなとみらいは横浜通である。
 
ここで彼女への決め台詞「人生は今日の小さなバスの旅のように山あり谷あり、
 
一緒に人生のバスに乗ってくれないかな・・・」なんて行ってみるとムードは最高潮。



こうやって友人は僕の描いたシナリオ通り事を運び、来月、
 
2度目の結婚式を迎えることになったのだ。



小嶋
寛(2008年横濱まちづくり倶楽部に寄稿したものを再構成)



山手ライナー 動画 
http://www.youtube.com/watch?v=j7uO99d8y6c

萬里        
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1401/A140102/14006776/
 
日本大通は、実に気持ちが良い プリント メール

 ハッスルが日本大通に関わったのは2002年から。早10年になります。

 当時はワールドカップの盛り上げ事業として、オープンカフェを実験的に行い、実に気持ちのよい空間演出ができました。その後、国の道路活用の規制緩和も手伝って、オープンカフェが実験的にスタート。試行錯誤の連続でしたが、毎日開催しているオープンフェは新たな試みとして、日本中に広がっていくさきがけだったと自負しています。

 平成18年、このオープンカフェの柱に「日本大通り活性化委員会」を設立し、景観保持を目的に、イルミネーション事業・イベント事業等を積極的に推進してきました。

今では、様々な団体が日本大通を活用してくれていて、大変うれしい限りです。

日本大通の歴史は古く・・・

明治12年に歩道と車道を分離した我が国初の西洋式街路として整備されたストリートには、三井物産ビルや神奈川県庁などの歴史的建造物が集積しており、横浜市中心市街地活性化基本計画では開港シンボルゾーンに位置づけられています。

平成14年には、植栽帯を含む歩道の幅員を13.5mに拡幅する再整備を行い、広々とした歩行者空間を確保するとともに、市民ニーズに対応できる道路として生まれ変わりました。平成16年、「みなとみらい線日本大通り駅」が開業後、横浜のあらたなる顔として、風格のある都市空間としての位置づけを担っています。2009年には象の鼻パークがオープンし、さらに日本大通りはテレビ・映画・CMのドラマの舞台としても注目され、横浜を訪れる観光客の回遊拠点としての可能性も

でも課題も抱えています。県庁側の日本大通の賑わい演出、電源の活用。昼時にゲリラで販売にくるお弁当屋さんも悩みの種です。

 今年度は、更に様々な挑戦をしていければとみんなで計画中です。ぜひこの気持ち良いストリートをこよなく愛してください。

日本大通り活性化委員会 http://www.nihonodori.jp/

日本大通を舞台にした映画『僕と妻の1778の物語』http://www.bokutsuma.jp/index.html

日本大通を舞台にした映画『沈まぬ太陽』http://tubee.livedoor.biz/archives/50930203.html

ハッスル小嶋

 アクティブイメージ

写真はイルミネーション2010年夏バージョン。

 
バンタンデザイン研究所横浜校で教えてます。 プリント メール

 私、小嶋は、昨年から、毎週日曜の9001100に、ハッスルが入居している創造空間 万国橋SOKO1Fの「バンタンデザイン研究所」で、コミュニケーションの授業を受け持ち、12人の生徒に教えています。内容は、マーケティングと企画書の書き方がメインですが、大体が夢を語って脱線しているのが実情です。生徒たちはみんな良い子で、自分娘と同じぐらいの年齢。

大学に通いながらの生徒、社会人やアルバイトをしながら頑張っている生徒とまちまちですが、ブライダルプランナーをめざす本当に頑張っている若人です。

 今回(昨日)のテーマは「生きていく上での、多くの引出しづくり」について。

 ブランダルプランナーは現在人気の職業で、就職が狭き門です。面接を受けるのも1分間にネットで申し込む際に100人が殺到するのには驚きました。約50秒で締め切りとなるそうです。我が長女は大学3年なのに全くのんびりして、すでに就職をあきらめているように見えますが、ここの生徒たちは必死に狭き門に挑んでいます。

 ブライダルプランナーとは、セレモニーだけで終始せず、人生の第2のステージへのスタートアップを演出する仕事であるとか、結婚は家族を持ち家族を継続させる大事なスタートであるとか、、、つれづれなるままに想いをうなっています。

 多くの引き出しを持ち多角的に考えることが演出をする人間の役目と考えるのですが、はたして生徒にその想いが伝わっているかは疑問です。

 授業で私が力説しているのは、日本のなかで就職をしなくても良いということです。僕らの頃は、日本で名前の通った会社に就職するのが良いことだと疑いもなく思っていましたが、今は、グローバル社会。別に中国・EU・USAでもどこでもOKだと思っています。踏み出す勇気とチャレンジ精神が生徒に伝わればと思っています。

 生徒に1つ不満を言えば小さくまとまっておのずと限界を設定してしまうことです。自分で人生の枠と限度を知るにはまだ早いぞ! 頑張れ、悩め、もがけ、くじけて立ち上がれ我が生徒たち! 人生は夢と理想へのあきらめない野望をもって、はじめて実現すると信じています。

小嶋 寛

 

バンタンデザイン研究所横浜校 http://www.vantan.com/yokohama/

vantan.jpg

 

 
OLD but NEW YOKOHAMA プリント メール

128日(金)、東小金井にある「スタジオジブリ」に行ってきた。

目的は、この夏封切られるスタジオジブリの映画「コクリコ坂から」の舞台設定が1963年の横浜ということを聞き、どうにか「みなとみらい地区」とのタイアップができないかと、足を運んだわけである。また偶然ではあるが、YMMの八木沢さんの大学の学友がジブリの取締役でもあり、八木沢さん、mirea編集長 井田さん、ハッスル湊、そして私とで話に臨んだ。先方は、スタジオジブリの制作担当者、宣伝関係者、イベント関係者総勢5名が会議室で出迎えてくれた。

1963年の横浜は、私にとっても幼少期の記憶として鮮明に残っている。なぜかというと、この年私はまだ山下公園前にあった警友病院に肺炎をこじらせて入院をしており、初孫ということで、2人の祖母が甲斐甲斐しく看病に泊り込みをしていたが、私は港を満喫していた。2人の祖母は、かわるがわる山下公園にアイスクリームを買いに出かけて山下公園から手を振ってくれた記憶があり、初夏の日差しが私の脳裏に今でも刻まれている。船の出港時には、汽笛が華々しく聴こえ、銅鑼の音や、時には吹奏楽の演奏までが病院まで聞こえていた。船の出入りが頻繁で、きれいな船が、私を飽きさせなかった。夕刻からはマリンタワーの灯りを目で追い、ときたま流れてくる私の聞いたことのない音楽がなんだかドキドキさせた。

1963年の横浜は、開港100周年事業のハード整備が完成し、マリンタワーや横浜文化体育館が数年前にオープン。この年には山下ふ頭が完成している。オリンピックを前に好景気に沸き、戦後の接収の余韻を残しながらも、横浜市の現在の姿が見え始めたときであった。OLDからNEWヨコハマが活気づいた頃である。

会議室に話を戻そう。私たちは、プロモーションの様々な話に盛り上がり、佳境に入ったとき、プロデューサーの鈴木敏夫氏が乱入してきた。彼は、日吉に住んでいたこともあり、1960年代の横浜を知っていて、今の「横浜」そして古き良き「横濱」を対比的に取りあげたい主旨を熱く語っていた。「1963年は横浜が新旧入れ変えの時期。」このおっちゃんやはりタダモノではない。

「みなとみらいと旧市街地の対比がおもしろい。10箇所の会場を設定して何かやりたい」と鈴木氏。なんだかワクワクした。

ここで私が脳裏に浮かんだキーワードは

「Old but  New

このキーワードは以前イセザキで商店街の将来像を検討した時に、イセザキの入口で傘屋さんを長年経営している店主から教えていただいたキーワードである。

「古いけれど新しい」

これは、昨年市役所が発表した「OPEN YOKOHAMA」より、私にとっては肌のあうキーワードである。

鈴木氏が私たちに投げかけた、「ヨコハマって歴史的建造物を保存大切にしながらなんだかそこに近代的なビルが一緒に混在しているのがおもしろい。どうして?」との発言も、「前進しながらも歴史を大切にしてきた先達の英知を大切にしているから。」と心の中で明快な解答をして自分で酔いしれてしまった。

「コクリコ坂から」封切は7月初旬を予定している。絵コンテを見せていただいたが、ハマッ子なら10回ぐらい観たい映画になるはずだと確信した。でも、主人公の女の子には、ぜひフクゾーの七分袖シャツを着せてもらいたい。お願い!!鈴木のおっちゃん

小嶋  寛 

スタジオジブリ http://www.ghibli.jp/

コクリコ坂から http://kokurikozaka.jp/

フクゾー    http://www.fukuzo.com/office.html

 アクティブイメージ

撮影:森日出夫

 
西伊豆 井田(いた)の100年時計 プリント メール

西伊豆 井田(いた)の100年時計

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昔、銭湯に行くと富士山の大型絵が描かれていました。子どもながらに「富士山と海と松の風景」が頭の隅にこびりついていて、いつしか大人になるまでその風景が脳下垂体に眠っていましたが、6年前2年間かけて仕事で通った井田(現在は沼津市)はまさしく、銭湯の風景がそのままリアルに蘇る風光明媚な場所です。

 今年、6年ぶりに、ホームページのリニューアルのためにに顔をだしました。1月の空気の澄んだなかでの銭湯風景は相変わらず、そこに実存していました。横浜にいると、時間に追われて景色が記憶に残らない日々の連続ですが、この井田は、一秒一秒を連続写真で撮るように頭の中に刻まれるすばらしい場所です。

 井田へは車で沼津から1時間。(沼津→戸田港の海路もあります。)公共交通機関では、なかなかいけません。100年前には。村中でカナダに移住した稀有な歴史をもっていて、横浜港からお船で行ったそうです。現在は、みかんと民宿とダイビングとしての基幹産業があるものの、きっと100年前から変らぬ風景と意識がそこにあります。

 変化を好まない村人、昔からかわらない村行事。横浜から行った私には、表面的には受け入れてもらえるけれど、内面的には高い壁があることを感じずにはいれれない日本民族の村意識を強く感じさせてくれます。

「かわらなくていいんだよ。」「かわっちゃいけない。」と無言のプレッシャー。でも時代の波にのらないとあせる村の矛盾。

 この村には、日本の景色と意識の原風景があります。

 近年、この井田にあたらしい村民が移住してきています。みかんの段々畑に季節の花を植えようと頑張っている人、菜の花まつりを盛り上げようと頑張っている人。実に面白い試みです。この井田で生まれて、東京で働き、ふるさとに戻ってきた人はダイビングショップで新たな挑戦をしていました。横浜に住んでいるとグーグルカレンダーに追い掛けられて動く自分にとって、100年の時間で動くこの村になんだか自分の小ささを感じさせる実にすばらしい井田です。

 皆さんも、3時間動かず、ボーっと富士山と海を観たいとおもったら、ぜひこの井田に行ってきてください。人生の時間にとってほんの一瞬ではありますが、本物の自分時間が満喫できます。

                                                              小嶋

井田HP http://www.izu-ita.com/

宿泊 民宿平田荘 http://www.hiratasou.com/

 
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